「まっくろヒヨコ」 ラスカル文 / ピーター・エリオット絵 / 平岡 敦・訳 偕成社
いっつもハッピーエンドなんて、
おとぎ話じゃあるまいし。
フランス発、大のオトナが読む絵本
以上、絵本の帯に書いてあります。
とにかく、このとおり、あきずに最後まで、
エンドまで、お読み下さい。
「たまご」 ガブリエル・バンサン BL出版
たまご‐L’OEUF
Amazonにリンクしています。表紙は、Amazonでご覧下さい。
字のない絵本です。 野に大きなたまごが一つ。 人間が小さく見えるほどの大きなたまご。 大騒ぎになって、TV中継があったりして、 とうとう、たまご見物の町ができて、たまごに 上るロープーウェイもかけられて・・・・。 そして、たまごが孵り、雛が歩き出します。 最後のページの不気味さは、いったい何の暗示? あまりの不気味さに、しばし、呆然としました。
「かえるの平家ものがたり」 日野 十成・文 斎藤 隆夫・絵 福音館書店
平家物語をかえるが演じるのかと、思ったら、 源氏かえると平家の猫の争いで、お話は、げんじぬまの物語で、 シチュエーションを借りただけでした。 でも、がまじいさんの琵琶法師風が登場したり、 かえるのうしわかまるがいたりで、絵もそれなりのかっこのかえるが 登場してきて、楽しめます。 げんじぬまの様子も、貴族の館風の家も、ちょっと、おままごとぽくって、 面白いです。 へいけねこに戦いを挑んでも、かえるはすぐに、負けてしまいますが、 うしわかまるが、大活躍します。 どうして、かえるが猫に勝てたのか。 読んでお楽しみください。
「3びきのぶたたち」 デイヴィッド・ウィーズナー作 江国香織・訳 BL出版
おなじみの3びきのこぶたのお話と思っていたら、なんと、こぶたたちは絵の外に 飛び出すのです。そして、他のお話の登場人物も絵の外に呼び出します。 最後には、皆で仲よくと言っても悪役(らしき登場人物)は抜きで、楽しく暮らしました。 めでたし、めでたしです。 ウィーズナーの絵は、いつも感心させられます。この絵本も、おはなしの中にいる時は、 平面的で絵の外に出ると、とたんに生き生きとした絵になります。 しかも、絵本の中に白紙のページがあるのです。こぶたたちが、絵本のオオカミの絵を、 紙飛行機にして飛んでいる場面です。実に、白紙のページが生きています。 折られたオオカミの情けなさは、言うに及ばずです。
「セクター7」 デイヴィッド・ウィーズナー BL出版
文字のない絵本です。でも、絵の中からおしゃべりが聞こえてきます。 アメリカ映画を字幕なしで見た感じです。 上の本と同じ作者の絵本です。とても楽しいお話です。 少年が、社会科見学(たぶん)で、エンパイアーステートビルへ出かけますが、迷子になり、 雲の子どもと知り合います。そして、雲製造所?に連れて行ってもらいます。 そこでは、いかにも映画に出てきそうなおばさん、おじさんが働いています。 少年は雲の子どもに頼まれて、雲の設計図を描きますが。 ウィーズナーの絵本は、最後にいつも「えっ!」って感じで終わります。 でも、楽しい「えっ!」ですよ。
文字のない絵本です。 ウィズナーには、文字のない絵本が多いのですが、文字がなくても、 言葉が満ちあふれる絵で、説明無しに誰でもストーリーを追うことができます。 2007年コールデコット賞受賞作品です。 アメリカのどこかの海岸でのお話です。家族で海岸に遊びに来ていた少年が、 古いカメラを海の中から拾います。最初は、落とした人を探そうとしますが、 誰も知らないようです。少年は、カメラの中のフィルムを現像してみました。 すると・・・・・ 現像された写真は、海の中で撮影されたものですが、不思議な世界が広がっています。 常識ではない海の世界が広がります。ウィズナーは、とてもユーモアがあり、 楽しいストーリーを、読者にサービスします。 そして、もう一枚、日本の海岸で少女が写真を胸にして、写っています。 この写真は、良く見るとさらにその中に写真を持っている子どもが写っています。 さらにその中に写真を持って、という具合に子ども達が何回も写っています。 カメラを拾った子ども達が、写真を現像しそれを持って自分を写す、という 一種の儀式が、続けられているのです。 カメラを拾った少年は、写真を手にカメラのシャッターを押します。 カメラは海へ、その続きも描かれています。最後は、どこか南国の島の 海岸に流れ着いたところで、終わります。もちろん、カメラにとって 終わりはないのですが・・・・。
「しにがみさん」 柳家 小三治〔原作〕 / 野村 たかあき・作/絵 教育画劇
落語絵本です。柳家小三治の説明によると、明治中期に三遊亭円朝が イタリアの歌劇「くつ屋のクリスピノ」から、翻案したものとされています。 グリム童話に「死神の名付け親」という同様のお話もあるそうです。 貧乏な若い父親を死神が金銭的に助けます。どうして、この死神が若い父親を 気に入ったかについては、書かれていません。でも、生まれたばかりの赤んぼに 食べさせてやる物もないほどの、貧乏に同情してのことでしょう。 もちろん、死神がお金を持ってきてくれる訳ではありません。 病人についている死神の見分け方を教え、それで若い父親にお金を稼がせます。 ところが、若い父親は大枚のお金に目がくらみ、自分の寿命を縮めることに なりました。最後まで、死神は助けてやろうとするのですが・・・・。 野村たかあきの絵が、江戸の雰囲気をよく出していて、楽しめます。 文章も落語風に、会話文になっているので、その場で落語を聞いている感じです。
「チョコレートをたべたさかな」 みやざき ひろかず・さく・え ブックローン出版
禁断の木の実を食べてしまった、ようなおはなしです。 さかなであることに満足していた、「さかな」が、ある日チョコレートのかけらを 食べます。あまりのおいしさに「うちょうてん」になり、そして、さかなでいること がつらくなります。それから、頭の中はチョコレートのことで、いっぱいになり、 もう一度食べたいと願います。その希う様は切ないです。 でも、生涯2度とチョコレートは食べられずに終わります。 チョコレートの美味しさに、さかなでさえそう思うのです。「もう一度食べたい」と。 よくその気持ち分かります。美味しいですもの、チョコレートは。(って、深読みの方は、 この紹介文、違うだろうって?) 絵は、淡いチョコレート色一色です。小さな窓のような感じに、ページの真ん中に 描かれています。 絵本は、続きがあります。ちょっと、チョコレートのように、ほろ苦く、甘いお話です。 続きは、どうぞ、ご自分で、お読み下さい。
「せかいいちうつくしいぼくの村」 小林 豊/作・絵 ポプラ社
まるで、桃源郷です。アフガニスタンのパグマン村、この村の春は すもも、さくら、なし、ピスタチオの花が咲き乱れます。 この村の少年ヤモは父親と初めて、町の市場に出かけます。すももとさくらんぼをもって、 ろばのポンパーと一緒です。ヤモの兄は兵隊となって出かけています。 町では、ヤモの頑張りですっかりすももとさくらんぼは売れました。すると、お父さんは、 ヤギを買います。村では誰も持っていないくらいきれいなヤギでした。ヤギは「バハール」 とヤモが名づけます。「春」という意味です。 そして、最後のページに、「このとしのふゆ、村はせんそうではかいされ、いまはもうありません。」 という衝撃的な言葉が記されます。 絵本の中では、美しい村の様子、町の市場の喧騒など、とても楽しげに描かれています。 それだけに、最後のページは文章だけで胸にどんときます。続編の「せかいいちうつくしい村にかえる」 を早く読まないと、落ち着かない気持ちです。 付記:この続きは「ぼくの村にサーカスがきた」でした。下記をご覧下さい。
「ぼくの村にサーカスがきた」 小林 豊・作/絵 ポプラ社
上記の絵本の続編です。上記が春編でこちらが秋編です。 また、このリストにはそぐわないかもしれませんが、シリーズということで、ここにします。 世界一美しい村にサーカスがやってきます。日本でもサーカスや見世物小屋は各地を巡業して いますが(今は、あまり見かけないけれど)、普段娯楽の無いパグマン村のようなところでは、 待ち遠しく一番の楽しみのようです。 ヤモも友達のミラドーとサーカスを見に行くのを、楽しみにしています。 でも、その前に畑の作物の取入れがあります。 ヤモとミラドーも手伝います。ミラドーはお父さんが戦争に行っていないので、 おばさんと暮らしています。そして、お父さんが置いていった笛をいつも吹いています。 サーカスを見に行くと、二人ともわくわくすることばかりでした。でも、サーカスの うたひめに合わせて笛を吹き始めたミラドーは、楽隊の人と一緒に「こころを しめつけるような きょくを ふきました。」 観客は、大喜びです。 そして、ミラドーはサーカスに同行することになりました。 文章では書かれていませんが、絵には団長さんがミラドーのおばさんに、お金のような物を 手渡している様子が、描かれています。 もちろん、お給料の前渡でしょう。おばさんも冬を越すのに、かなり楽になるでしょう。(~_~;) ミラドーが去った後に、雪が来ます。 そして、最後のページは、やはり字だけです。 パグマンの村が戦争で破壊されたと記されています。
「せかいいちうつくしい村へかえる」 小林 豊/作・絵 ポプラ社
上記の2冊の続編です。実は、この本を「ぼくの村にサーカスがきた」より 先に読んでいたので、お話が繋がらなくて分からない部分がありました。その時の解説文ですので、 分からない部分は分からないまま、書いてあります。 「せかいいちうつくしい村」のヤモの友達ミラドーのお話です。 ミラドーはサーカスで笛を吹いていましたが、戦場に行った父が残した笛が壊れかかったのを期に、 ヤモの待つパグマン村に帰ることにしました。 やっとの思いで帰ってみると、戦争で荒れ果てた村で、誰も居ません。そこで、町へ行き、 ヤモと再会することができます。二人は、ミラドーのお土産の種をもって、パグマン村に 帰るという所で、終わりです。 美しい村が、再び戻ることを予感させて終わります。
「虎落笛」 富安 陽子・作 梶山 俊夫・絵 あかね書房
不思議な感覚を覚えるお話です。 男の子が大きな凧を抱えて、原っぱに急いでいます。 凧が飛んでいきそうな位の大風が吹いてきて、その風の中から、不思議な声がします。 「きょうの虎ぁでぇかいぞう」「おまえが笛をふけ」などなど・・・。 男の子は驚いて、しかたなく草笛を吹きます。周り中、虎の駆け回るザワザワと言う音が 聞こえ、誰かがその後を追うような足音が聞こえます。 冬の野原を渡る大風を、虎狩りに見立てたものと、解説されています。 子供の時に、(ちょっぴり、今でも)大風が吹くと、怖かった思い出があります。 そんな感覚を呼び起こされるような絵本です。 絵は、枯れ野原の色が全体を覆い、吹き荒れる風の様子を、いくつもの分かれた すすき野で表されています。 でも、不思議に冷たさより、暖かさを感じます。私だけでしょうか?
「まどのそとのそのまたむこう」
不思議なお話です。絵も物語りも。 正直、この表紙が気持ち悪くて、何度もためらっていました。何が気持ち悪いの?と 聞かれそうですが、子供たちの顔、特に目、さらに、裸足の足、手など、リアルでいながら デフォルメしたみたいな感じが、どうにも、躊躇させるものがあるのです。 でも、いずれ、センダックは読まなければと、思っていたので、思い切って手に取りました。 いまだに、人物の表情、体つきなどは、馴染めませんが、周りの風景は気に入りました。 どこか「ジョコンダ夫人」(モナ・リサ)を思わせます。 お話の内容も今ひとつ、どのように解釈したらいいのか、まだ、迷っています。 小さなあかんぼの妹をゴブリンから助ける勇気ある姉の話です。 パパはうみへおでかけ ママはおにわのあずまや で大人はいないことがわかります。 アイダが妹を見ていると、妹がゴブリンにさらわれてしまいます。 この時の窓の向こう、船が嵐に遭って沈んでいるのですが、これはパパは戻らないという 暗示なのでしょうか。よく分からないことのひとつです。 妹を助けるためにゴブリンのところに行くと、ゴブリンもあかんぼの姿です。 まほうのホルンで妹を助け出しますが、その帰り道、小川の向こうの小屋の中に、 モーツァルト?らしき人物がピアノ?を弾いています。これは何? 夢ではなく、現実にママのところに戻るのですが、パパから手紙がきています。 アイダがしっかり、家をみるようにということなのでしょうか。 「あかちゃんとママとを みていてくれることと おもいます」 と、手紙は結ばれています。 アイダは、小学校2,3年生くらいですが・・・・。 分からないことばかりの絵本ですが、何となく、絵(周りの風景)をみたくて、 また、開いてしまいます。 そのうち、内容もわかってくるかしら・・・。
「ゆらゆらばしのうえで」 きむら ゆういち・文 はた こうしろう・絵 福音館書店
「あらしのよるに」で、よく知られている、きむらゆういちの絵本です。 シチュエーションもよく似ていますが、「あらしのよるに」では、読者が、 捕食者、非捕食者であることを知っているだけで、互いは次の巻にならないと わかりません。でも、この「ゆらゆらばしのうえで」は、お互いがどういう 関係であるか、よく承知しています。 お話は、きつねがうさぎを追っているシーンから始まります。 うさぎが逃げていく先には、大雨で洗われ一本の丸太だけになった橋があります。 互いに、その橋を利用して、逃げようとし、捕まえようと思っています。 ところが、うさぎもきつねも丸太の上に乗った瞬間、丸太が崖から外れて シーソー状態になります。2匹とも、丸太の上から逃げることができなくなるのです。 川は大水で、落ちたら終わりです。 最初のうちこそ、仲間が来れば、「お前なんか、落としてやる」「半分ずつ食べてやる」 と言い合っているのですが、一向にその仲間は現れません。 やがて、静かに時が流れ、とっぷりと暮れてきます。 きつねとうさぎは、ごく自然に話を始めます。それも、旧知の間柄のように。 窮地ではあるのですがね。(^^ゞ 夜も更けて、うさぎが居眠りを始めます。すると、なんときつねが叫びます。 「おい!もっと いのちを だいじにしろ!!」 もちろん、うさぎが眠って川へ落ちれば、きつねも川へ落ちるので、当然と 言えば、当然の叫びですが、この時きつねは、とっさに、うさぎの命を思って、 叫んだのでしょう。自分のことは後から、思い出したに違いありません。 それほど、ごく自然に出た叫びです。(と思っていますが・・・・。) もちろん、2匹は助かります。助け合って、向こう岸にたどり着けます。 その後、きつねもうさぎも自分たちの役を思い出したように、追いかけっこを 始めますが、きつねはなかなかおしゃれです。その行動が。 絵は、はたこうしろうです。私の大好きな「夏」を描く作家です。 絵本館では、「まほうの夏」「なつのいちにち」「ちいさくなったパパ」があります。 色はカラフルで、ちょっと貼り絵風に見えます。 最後の作者紹介もとてもしゃれています。忘れずに、見てください。
北極ぐまが女の子の部屋に突然現れて、居候します。 その現れ方が、すごいです。絵本の迫力って、こういうことかと目を見張ります。 ぜひぜひ、ページを開いてみてください。 くまさんのふさふさの毛が、辺りに飛び散るのではと思えるほど、 くまさんの雰囲気は、本物です。 女の子の様子も、ホントに困った子ね(女の子が、あるいは女性が子供やペット たまには、夫に対して取る、あの態度です。)と言う感じが、とてもよく出ています。 絵は、色鉛筆?パステル?の感じです。 ブッリグズについては、「絵本についての考察2」で書いていますが、 明らかにファンタジーである内容を、ひどく現実的に描く作家です。 このくまさんも、現実に大人には見えないのかと思える箇所もあるのですが、 うんちやおしっこを女の子が片付ける場面が出てきて、いかにも日常的です。 ブッリグズの異邦人たちは、唐突に現れ、唐突にあっという間にいなくなってしまいます。 後には、残された者の苦い悲しみが漂います。でも、それが大人になるということかもしれません。
「風が吹くとき」 レイモンド・ブリッグズさく さくま ゆみこ・やく あすなろ書房
続けて、ブリッグズの絵本です。でも、こちらは怖いです。 核戦争のお話です。この絵本をもとにアニメになっているので、ご存知の方もいらっしゃるでしょう。 イギリスの議会でも取り上げられたそうです。 引退して田舎にすむ老夫婦、善良でごく普通の生活をしています。 新聞で戦争があるかもしれないと知った夫ジムは、少し心配していますが、 妻は、そんな心配はよそのこと、いつもの通りの生活をしています。 「晩御飯は何にしますか」などと。 やがて、核戦争が起き、二人の住んでいる地区も、というより全世界が、 核爆弾で攻撃されます。二人は政府のパンフレットを見て作ったシェルターまがいの ものに入っていましたが、やがて外へ出て行きます。 最初は、牛乳が来ない、ラジオも何も言わない、などと日常の会話をしていますが、 二人にも放射能の影響が現れます。そして、聖歌を歌いながら、二人で慰めあい、 シェルターまがいの中に、横たわるのです。 絵本の内容が怖ければ、開かなければいいのですが、この内容が、起きてしまうかも しれない現代が怖いのです。 「風が吹くとき」とは、マザーグースから取られた題名だそうです。 ちょっと、不気味な詩の内容だそうです。 なお、以前は篠崎書林から出ていましたが、(私の今回使用のテキストは篠崎書林です) 現在は、あすなろ書房です。
不条理がゆえに、引き付けられる不思議なお話です。 物語は1802年に生まれ、わずか25歳あまりで亡くなったハウフが書いたものです。 その物語にツヴェルガーが絵を付けました。 ツヴェルガーには、このように昔の物語に絵を付けたものが、かなりあります。 その絵は、透明感があり、細かく描かれ美しく、清楚な感じで、昔の物語の怖さや 不思議さを伝えるのに、似合っています。 お話は、市場で野菜を商っていた母と息子ヤーコプの所に、魔法使いのおばあさんが来るところから 始まります。不気味な感じのおばあさんは、たくさんのきゃべつを買いますが、重くて持てないので、 ヤーコプがおばあさんの家まで、運びました。 おばあさんは、鼻があごまでたれるほど長いのですが、ヤーコプにもこんな鼻にしたらどうかと、 からかいます。やがて、おばあさんの家に着くと、美味しいスープをご馳走されます。でも、スープを 飲むと、眠くなりそのままソファで眠ってしまいました。 夢の中で、ヤーコプはリスになりおばあさんのところで働きました。そして、料理番になった時、 珍しい薬草のにおいで、目が覚めました。急いで、市場の母の所へ戻ると、「こびとの子どもなど いない、あっちへ行け」と、追い払われてしまいます。 ヤーコプは、夢ではなくおばあさんに、鼻の長いこびとにされたのです。 失意のうちに、ヤーコプは料理の腕を生かして、王様の料理長になりました。 王様にはとても喜ばれましたが、ある日、魔法でガチョウにされたミミという娘に出会います。 ミミに教えられ、ヤーコプは窮地を逃れるのですが、やがて、元に戻る事が出来る薬草を探し出します。 そして、元のヤーコプに戻り、両親の元に帰ります。 ヤーコプは、鼻の長いこびとの時に、一度、両親の元に戻るのですが、受け入れてもらえませんでした。 怖いです。やはり人は見た目で判断してしまうのでしょうか。すっかり元に戻った時には、 両親は喜んで迎えます。ここがちょっと、納得できないというか、今までには、読んだことのない 展開のお話です。 作者のハウフは、若くして亡くなったので、数多くのお話はないようですが、 他にも読む機会があれば、読んでみたい、不思議な作風です。
「きんぎょのおつかい」 高部 晴市・絵 / 与謝野 晶子・文 架空社
まず、金魚のお使いで「えっ!」、次に作者を見て「えっ!」与謝野晶子が、 絵本を書いているの?と驚きます。 あの「みだれ髪」の与謝野晶子が、童話を書いていたということです。 ちょっと、想像できないのですが。 物語は、本当に金魚がお使いに行くお話です。だって、金魚じゃ歩けないし、って、 歩いて電車に乗って行きます。でも、電車に乗るときに急に、息が出来ないから、 水が欲しいとか、その後はまた歩いていくとか、ちょっと不思議な世界です。 お使いに行くだけの話ですが、何となく面白いです。そして、与謝野晶子が、 生きていた時代の風景が、見えてくる絵本です。その点でも面白いです。 装丁も面白いです。 わら半紙風の地色の紙に描かれた絵が、一昔前の感じで、懐かしい感じです。 驚きとともに手にとって、楽しんで下さい。
ビアス「悪魔の辞典」芥川龍之介「朱儒の言葉」などと並ぶ、五味太郎版です。 内容は、やはり子どもは読めないと思います。大人が読んでください。 かなりきわどい表現もあります。でも、なるほどと何度も肯いてしまいます。 ただし、黒地に白抜き文字ですので、年よりは一度に読むと疲れます。(^_^X)私のこと。
ハンガリーの作家の絵本です。2冊とも同じ形式です。 ズームには、ズームインとズームアウトがありますが、この絵本はズームアウト、 つまり、小さなものから次第に大きなものへ、ページを進めています。 最初の1ページは、「?」ですが、次のページに進むと「何だそうか」と なります。でも、またまた次のページに進むと、「えっ!そうなるの」と続きます。 最後の最後のページまでこの繰り返しです。 「ズーム」は、最初赤い三角の山並みが、なにこれ!?で始まり、次のページで、 それがニワトリの鶏冠だとわかります。そして、そのニワトリを窓から見ている 二人の子供・・・・・最後のページは、小さな白い点。 次々と変わるので、ページをどんどん繰りたくなります。 「リズーム」も同じ仕掛けです。何度も何度も楽しめます。 「ズーム」の奥書の後に、「あとがき」のように谷川俊太郎の「眼は」という 詩が載っています。「ズーム」の世界観を表し、さらに心に訴え掛けてきます。 才能をまざまざとこんな所でも、見る思いです。
今ひとつ、よく分からないお話です。 梨木香歩の「りかさん」「からくりからくさ」などの一連の物語のようです。 ただ、あまり真面目に考えていると、めまいを起しそうなお話の成り行きですので、 適当に、こんな事もあるかな程度で、読んでください。 梨木香歩特有のゆったりとした動きの無い日常が描かれ、急展開するような 最後の数ページです。種明かしになるのか、ならないのか、最後の数ページが、 結局謎を深めてしまいます。まあ、早い話、意味が分からない。でも、どこか 惹かれるのです。不思議です。 絵は鉛筆か木炭の、デッサンのような感じです。その中に、花、血などが、 少しくすんだ赤で描かれています。
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