宮西達也フェアー 2009
ティラノサウルス、ウルトラマン、などのシリーズで知られている、 宮西達也氏のお誕生日は12月23日です。おめでとうございます。 すでにお誕生日に寄せて、特集を組んだことがあります。 今回は2009年版ということで、以前には掲載しなかった絵本を 取り上げました。 また、今回初めての試みとして、『にゃーご』『おまえうまそうだな』の 2作品について、評論っぽいものを書いてみました。 宮西先生はたくさんの作品を毎日お描きになっていらっしゃるようで、 全てを読むことは、こちらもちょっと無理です。すみません。m(__)m その中でも、ティラノサウルスシリーズは欠かさず読むことにしています。 毎回泣かされてしまうシリーズです。 では、ごゆっくりご覧下さい。
『にゃーご』『おまえうまそうだな』の2作品について私的考察
『まて まてー!』
『ふしぎなキャンディーやさん』
『ウマソウのピョンピョンピョーン』
『オオカミグーのはずかしいひみつ』
『キツネのおとうさんがニッコリわらっていいました』
『さんせーい!』
『わたしはあなたをあいしています』
『あいしてくれてありがとう』
『であえて ほんとうによかった』


以前の「宮西達也フェアー」はこちらです。
あわせてご覧下さい。


今年の9月に宮西先生にご講演いただいた時の「さらさら草紙」の記事です。
こちらもあわせてよろしかったら、ご覧下さい。




オンライン書店ビーケーワン:にゃーご   オンライン書店ビーケーワン:おまえうまそうだな
『にゃーご』『おまえうまそうだな』の2作品について私的考察

この2作品は、『にゃーご』は小学校の2年生の教科書に掲載され、『おまえうまそうだな』は、
けんぶち絵本の里大賞を受賞しています。
なぜ、この2作品を同時に論じるのかというと、共通項がたくさん見えてくるからです。
さらに、この共通項は宮西先生の作品に現れる共通項ともなっているからです。

まず、どなたもがこの2作品ですぐに気が付かれることは、「やさしさ」「おもいやり」
など、現代に必要だといわれている感覚です。でも、この2作品に共通していることは、
どちらも捕食者と被捕食者の物語ということです。ここにまずは着目して、考えてみたいと
思います。

『にゃーご』は、子ねずみと猫、『おまえうまそうだな』はティラノサウルスと
アンキロサウルスの子ども。どちらも最初に捕食者である猫とティラノサウルスは、
被捕食者のいわゆる「餌」に近づきます。当然どちらも獲って食べるためです。
ティラノサウルスは、「おまえうまそうだな」とまで言っています。奇しくもこれが
名前になるのですが。(これは非常に上手い命名だなと、思いつきそうで、思いつかない
ですね。)

この被捕食者に共通していることは、2者とも「恐れ」を知らないことです。つまり
相手が自分を獲って食べてしまう怖い存在であることを知らないのです。純粋に庇護者
として感じ取るのです。信じられた相手は、どう対応しようかしばし迷いますが、結局
庇護者としての役割を担います。

『にゃーご』では、あまり大げさに庇護者としての対応ではないように思えますが、
こねずみだけで、桃を取りに行ったら時間が掛かるでしょうし、どんな恐ろしい獣に
出会うかもしれません。実際にはすでに出会っているのですが。
猫はりっぱに庇護者として行動しています。
ただ、『おまえうまそうだな』のティラノサウルスと違うのは、物語の最後の方まで、
食べることを目的に持っていることです。しかし、それほど重要な要素ではないでしょう。
すでに、食べる目的なら桃を食べ終わった段階で、獲って食べるはずです。

そして、この庇護者という要素は、ともに雄ですが、母性といえるでしょう。
母性的な感覚で、「子」を守るのです。
『おまえうまそうだな』では、さらにこの後に「自立」に伴う痛みが描かれます。
しかし、ここでは母性ではなく父性の感覚でしょうか。痛みをじっと耐え、「子」
の自立を促します。あの最後の場面は、「自立」というほどのものではないと、
いわれるかも知れませんが、母から離れ、自我の確立をするという「自立」です。

この中で大切な要素は、最後まで被捕食者たちが、捕食者である相手を疑わないことです。
相手を疑わないことが、自分の身を守ることになるのです。信じられてしまった
捕食者は本性を表す機会を失ってしまったのです。
ことわざで喩えれば、「窮鳥懐に入れば、猟師も殺さず」でしょうか。

『にゃーご』では、こねずみが最後に「たまおじさん」にお土産のももを
渡す場面があります。「よんひきも いるなら ひとつじゃ たりないよね。」と。
この場面から、こねずみの優しさ、思いやりを、おそらく教科書などでは
取り上げているのではと、考えます。

また、『おまえうまそうだな』では、草を食べないおとうさんを心配して、
ウマソウが赤い実を採りに行きます。ここも、優しさ、思いやりですね。

この二つのエピソードから、当然「優しさ」「思いやり」は、相手の気持を
動かしうるものと、捉えられます。しかし、これは表層での出来事で、それを
もって、捕食者たちが被捕食者を食べないのではなく、純粋に信じられているからです。
信じているものを裏切る行為をなしえないのは、誰にも共通の潜在意識でしょう。

さて、「そんな甘いこと言ってみても、現実はもっと厳しいのだ。
こんな夢物語が、ありえるわけがないだろ」という声が聞えてきそうです。
その通りです。
これは「物語」です。

私たちは現実の世界に生きています。しかし、その現実の世界だけで生きているのは
辛くなることがあります。その時に、非現実の世界に遊ぶことが、重要です。
例えば、これからの忘年会、新年会などの飲み会、日ごろの憂さを晴らしてませんか。
お昼ご飯をたまにはお友だちと、豪勢に奢っていませんか。
それは、非現実の世界にしばし遊び、明日の活力を得るためではないでしょうか。

「物語」には、その非現実の世界に遊ぶという要素があるのです。
だから、捕食者と被捕食者とのお話も生まれるのです。
絵本という媒体は、短い時間で現実と非現実を行き来できる優れものです。
この媒体を、忙しい現代使わない手はありません。

だからこそ、この「絵本館」では、大人への絵本のお勧めを展開しているのです。

さて、まとめるべき所、なにかもっと大きな主題になりそうですが。
『にゃーご』と『おまえうまそうだな』の大事なことは、捕食者と被捕食者が
仲良くではなく、非捕食者が相手を疑わないという一見単純な、でも重要な
要素で成り立っていることです。

純粋に信じられてしまった捕食者は、すでに恐ろしい存在ではなく、
庇護者となるのです。ここが、この2作品を読み解くカギではないかと
考えています。ひいては、宮西作品全編を通しているテーマではないのでしょうか。

(まあ、単純なことを難しい風を装って、書いてみただけですが・・・・by沙羅)
感想、ご意見等ございましたら、こちらへコメント下さい。よろしく御願いします。


『まて まてー!』 宮西 達也 作・絵   金の星社
とても楽しいお話です。繰り返しのお話で、パターンがすぐに分かるのですが、
それでも、何度も楽しめます。
表紙から分かるとおり、釣りのお話です。水の中でこんなことが起きているなんて。
大好きな作品です。


『ふしぎなキャンディーやさん』 みやにし たつや 作・絵  金の星社
たぬきのおじさんが売っている不思議なキャンディーをなめると、
不思議なことがおこります。ぶたさんは、オオカミになれるキャンディーをなめて
いたずらをしますが・・・・。
子どもの頃、こんなキャンディー欲しいって、思ったこと一度や二度
誰にでもあるのでは?
そんな子ども心を楽しいお話にしてあります。


『ウマソウのピョンピョンピョーン』  みやにし たつや 作・絵  ポプラ社
『おまえうまそうだな』に登場した「ウマソウ」くんのお話です。
でも、物語があるというより、かわいいウマソウがピョンピョンピョンと、
跳ね回っている絵本です。とってもかわいいウマソウが、ほしくてほしくて
購入した絵本です。


『オオカミグーのはずかしいひみつ』 きむら ゆういち・作  みやにし たつや・絵  童心社
この作品は、きむらゆういちのお話にみやにしたつやが絵を描いています。
でも、テーマとしても雰囲気としても、宮西達也ですね。
お二人が、よく似た感覚を持っているということでしょう。
実は、そもそも宮西達也ファンになったのは、木村祐一氏の書いた絵本紹介の
中に『おまえうまそうだな』が、掲載されていたためです。

さて、お話ははずかしいひみつ。これはオオカミのお母さんが「いたち」という
ことになっていますが、このオオカミがお母さんを嫌がる態度、子どもの頃
自分でも同じような気持になったことがあります。いや思春期の頃かな。
たぶん、そんな経験は誰でもあるのかな、なんて。

それでも、お母さんは好きですし。お父さんもね。
そんなことをいまさらながら、考えてしまいました。


『キツネのおとうさんがニッコリわらっていいました』 みやにし たつや 作・絵  金の星社
ご馳走のブタを捕まえに行ったはずのおとうさんキツネ。
どうしてこうなるかな?
恐れをしらないブタくんたちの勝ちですね。(^o^)
でもね。じゃ、何を食べるのかなキツネ一家は・・・・。


『さんせーい!』 宮西 達也 作・絵  フレーベル館
5匹のオオカミがお昼ご飯の相談です。
それぞれ食べたいものが違っていて、まとまった答えが「ブタ」
早速こぶたを捕まえに行くと、運良く5匹のこぶたがやって来て、
みんなで1匹ずつ食べられると大喜びです。

ところが、ひとり?だけこぶたを捕まえ損ねたオオカミが。
みんなで譲り合いが始まってしまいます。どうして、
宮西作品て、こう優しい登場人物ばかりなんでしょうね。
だから、結局だれもこぶたを食べずに、りんごを取りに出かけてしまうのです。

たまには、思い切ってガブリとブタを食べるシーンも見たいですね。
なんてのはウソですが、でも何かこうなると、可哀そうな気もしてきます。


『わたしはあなたをあいしています』 宮西 達也 作・絵   ポプラ社
人気のティラノサウルスシリーズです。
今回は、どうも氷河期がくるのでしょうか。寒い冬の景色から始まります。
それに珍しくずる賢い役どころが出てきます。
さらに、最後に死ぬのがティラノサウルスじゃないところも、他とは
少し違います。

でもやっぱり、ティラノサウルスを怖い相手と知らずに、信じている
子どもたちが登場して、泣かせてくれます。信じるって命がけかも。


『あいしてくれてありがとう』 宮西 達也 作・絵   ポプラ社
ティラノサウルスの説明が、最初に出てきます。
「じぶんかってで わがままで」「ひとなどどうなってもいい」「じぶんさえ たのしく
おもしろければ」と思っている、らんぼう者の恐竜と。

かなりすごいです。これって。こんな人がいたら、きっと誰も近づきませんよね。
でも、よーく考えてみれば、こんな気持少しだけ自分の中にもあります。
ちょっとそれも怖いです。

ひとりぼっちのパウパウサウルス、いわゆる引きこもりでしょうか。
この作品では、ティラノサウルスは怖いと知っていますが、パウパウサウルスは
近づいてきた恐竜が、ティラノサウスルスとは分からない設定です。
だからやっぱり純粋に信じて、ティラノサウルスを優しいおじさんと思っているのです。

パウパウサウルスの最初の孤独と、最後の孤独は質が違うもので、
そこを考えながら読んでみるのも、なかなか面白いです。
なぜ、パウパウサウルスはティラノサウルスが死んでも、一人なのかということを。


『であえてほんとうによかった』 宮西 達也 作・絵   ポプラ社
シリーズ最新刊です。
今回は、スピノサウルスの子どもをティラノサウルスが食べようとした時に、
地震で半島が島になってしまうという、太古ならではのシチュエーションです。

スピノサウルスと二人(?)きりになってしまったティラノサウルスは、
まずは空腹を満たそうと、スピノサウルスに襲い掛かるのですが。
スピノサウルスは上手でした。いや、必死だったのですね。
自分を食べてしまえば、餌が無くなり、結局ティラノサウルスも死んでしまうから、
魚を獲るから食べないでと、訴えます。

疑心暗鬼だったティラノサウルスも、スピノサウルスが獲った魚を食べて、
ご満悦です。
それから毎日毎日、スピノサウルスは魚を獲ります。そして、極限状態にある
二人は次第に打ち解けていきます。

私の大好きな場面。ティラノサウルスがスピノサウルスを
「なにも いわずに ぎゅーっと だきしめてやりました。」
子どもには(時には大人にだって)これ、必要ですね。
「わかった、わかった、だから、ほら僕がここにいるよ」って、
声なき声で答えることが。

最後にちょっと、今回疑問・・・というか、私の英語理解力が・・・。
「The only chance in one's life」
いつもティラノサウルスシリーズには、裏表紙に英語の文があります。
いつもは、すぐにうんうんと分かるのですが。
今回『であえてほんとうによかった』がどうして、この英文になるのか。

「この出会いは生涯に一度、大事な出会いだった」って、感じでいいのかな。

英語の成績ものすごく悪かったから、普通はすぐに理解できるのかな・・・・(^^ゞ

もうひとつ特徴がありました。
『おまえうまそうだな』以来の縦書きの題です。
これも意味ありかしら?


絵本館TOP  ページTOP 季節限定