生と死を思うとき   絵本館Top

 

「わすれられない おくりもの」
「ぼんさいじいさま」
「だいじょうぶだよ、ゾウさん」
「おじいちゃんがおばけになったわけ」
「ぶたばあちゃん」
「アニーとおばあちゃん」
「あの夏」
「じいじのさくら山」
「ぞうのさんすう」

 

オンライン書店ビーケーワン:わすれられないおくりもの 「わすれられないおくりもの」スーザン・バーレイ/さく・え 小川 仁央 /訳  評論社

この本は、もちろん子どものために書かれたものなので、本来は、
友情の大切さや、技術を伝えていくことの大切さを、子どもたちに
伝えるお話です。

ストーリーは、アナグマが死んでしまい、残されたものたちが、
アナグマに教えてもらった技術を、教えてもらった時のことを思い出しながら、
伝えていくというものです。

で、大人が読むときは、もちろん、本来の作者の意図を読むことは、
とても大事なことですが、私は、もうひとつ別な見方をしてしまいます。
アナグマ側の見方と言っていいのでしょうか。

私は、アナグマの最初に出てくる考えに、そのとおりとうなずき、
そうしかたないんだな、この年になればと思ったのです。

「アナグマは、死ぬことをおそれていませんでした。死んで、からだが
なくなっても、心は残ることを知っていたからです。だから、前のように、
からだがいうことをきかなくなっても、くよくよしたりしませんでした。」

そして、アナグマの死んでいく場面も、私には、納得がいき
好きな場面です。
どうぞ、この場面は、本を読んでください。

 

「ぼんさいじいさま」 木葉井悦子 文・絵  ビリケン出版

 ぼんさいじいさま クリックしてください。Amazonで、表紙を確かめられます。

とても優しい絵です。
表紙には、しだれ桜の盆栽の中に、小さくなったぼんさいじいさまが、
桜を眺めている様子が、描かれています。
絵の一枚一枚、(すべて見開き2ページ分が一枚の絵になっています。)
ていねいに見ていくと、動植物が細かく優しげに描かれています。

おじいさんが亡くなる日のことを、描いている本ですが、人生の終わりに
こんな最後があるならばと、ほっとするような、思わず微笑んでしまう絵本です。
そして、最後の見開きの絵、ぼんさいじいさまが、迎えに来たひいらぎ少年と
向こうへ逝ってしまう、手をつないだ後姿は、寂しさを感じさせません。



オンライン書店ビーケーワン:だいじょうぶだよ、ゾウさん 「だいじょうぶだよ、ゾウさん」
ローレンス・ブルギニョン作  ヴァレリー・ダール絵   柳田 邦男・訳  文渓堂

大きなゾウさんと小さなネズミさんが、仲よく暮らしています。
でも、ゾウはそろそろ、向こうの世界へ出かける時だと、悟っています。
ゾウさんの向こうの世界は、細いつり橋を渡った向こう側です。

ある日、ゾウさんとネズミがそのつり橋を見に行くと、つり橋は途中で
壊れていて、ゾウさんが渡れそうもありませんでした。
ネズミは、ゾウさんがつり橋を渡っても、こちらへ帰ってくるなら、
直してあげると、提案しますが、ゾウはつり橋を渡ったら、もう戻れないと、
ネズミに語ります。

その後は、何年も何事も無かった様に暮らしますが、大人になったネズミは、
弱ったゾウさんを、向こうの世界に渡らせてあげようと考え、つり橋を直します。

最後に、ゾウさんは、静につり橋を渡っていきます。
「こわくなんかないさ。だいじょうぶ、安心してわたれるさ!」と、ネズミに
感謝しながら・・・。

それほど、切なさは感じません。むしろ、ゾウの向こうの世界を一緒に覗きたいと
思うくらいです。
色使いもやさしく、絵本全体優しい感じがします。

柳田邦男の訳本は、絵本館で3冊目ですが、前の2冊「エリカ奇跡の命」「あの森へ」
の鋭さは、この絵本からは、感じられません。少しだけ、物足りないかな・・・。


オンライン書店ビーケーワン:おじいちゃんがおばけになったわけ 「おじいちゃんがおばけになったわけ」
キム・フォップス・オーカソン文  エヴァ・エリクソン絵   菱木 晃子・訳  あすなろ書房

エリックは、おじいちゃんが大好きでした。じいじと呼んでいました。
じいじは、道で倒れて死んでしまいます。あっという間に。

でも、お葬式の夜に、エリックのところへ、じいじがやってきました。
おばけになったのです。
じいじとエリックは、じいじの忘れ物をさがし始めます。
忘れ物をした者が、おばけになると本で読んだからです。

じいじと忘れ物を、夜さがし歩くエリックは、昼間眠くて、
しかたなく、学校も休みました。
でも、忘れ物はなかなか見つかりません。
じいじの小さなときから、若いとき、エリックと過ごしたときなどを、
振り返ります。
そして、3日目の晩、とうとう、じいじは忘れ物を見つけます。
とても簡単なことで、とても重要なことでした。

じいじは、夜の闇に消えて行きます。
エリックは、「あしたは学校へ、いくよ」と眠りにつきます。

人は、時に忘れ物をして、死に赴くこともあります。
いいえ、いつだって、忘れ物をして行くのでしょう。
でも、できるだけ、毎日、忘れ物のないように、生きていかなければと、
思います。この絵本のように、おばけになれるとは、限らないのですから・・・。

絵を描いたエリクソンは、「パパが宇宙をみせてくれた」「パパはジョニーっていうんだ」も描いています。
パステルか色鉛筆か、という感じの絵です。どの絵本も感じが良い絵だと思って
見ていました。訳者も同じ人でした。


ぶたばあちゃん マーガレット・ワイルド文 / ロン・ブルックス絵 / 今村 葦子・訳  あすなろ書房
表紙画像はありませんが、bk1にリンクしています。
まず、絵本の表紙がモネの睡蓮を思わせます。
色調も絵の雰囲気も。あけて見返しもモネの睡蓮風です。ここで、何となくお得な気分になれます。
きっと、印象派風の素敵な物語だろうと思えて。
そのとおり、とても素敵なお話です。誰もが思うに違いありません。こんなふうに終わりたいって。

ぶたばあちゃんと孫娘が二人で暮らしています。なぜ、二人か?それについては語られません。
二人は助け合い、仲よく暮らしていました。でも、ある日、ぶたばあちゃんは、終りが近いことを、
いいえ、孫娘も一緒に悟ります。

それから、ぶたばあちゃんがとった行動は、潔いです。私にはできるかな?
図書館に本を返し、次の分は借りません。銀行に行きお金を下ろすと講座を閉じます。
孫娘にお金を預けると、大事に使うように話します。すべての支払いが終わると、今度は
「目にごちそう」をすると言って、孫娘とともに出かけます。
街の様子、自然の様子、すべてをしっかりと目に焼き付けます。

そして、その晩、孫娘はしっかりとぶたばあちゃんと抱き合って眠ります。

淡いスケッチ風の絵とともに、しみじみとした味わい深い絵本です。


オンライン書店ビーケーワン:アニーとおばあちゃん 「アニーとおばあちゃん」 
ミスカ・マイルズ作 / ピーター・パーノール絵 / 北面ジョーンズ和子・訳   あすなろ書房

ナバホ・インディアンのお話です。
といっても、昔の物語ではなく、現在のお話です。

アニーはナバホ・インディアンの少女で、年老いたおばあちゃんと両親と暮らしています。
アニーはおばあちゃんと仲良しで、毎晩おばあちゃんが話してくれる昔話が楽しみでした。
ところがある日、夕食後、おばあちゃんが皆を集めて静に話します。
「今織っているじゅうたんができあがるころには、わたしは、母なる大地に帰っていく。」

これを聞いたアニーは、母が織っているじゅうたんが出来上がらないように、邪魔をします。
じゅうたんが織り上がらなければ、おばあちゃんは死なないのだと、考えるのです。
織ったじゅうたんの糸を抜いたり、羊を逃がしたり、学校でいたずらをしたり。

アニーの様子を見たおばあちゃんは、アニーを畑に誘い、さらにその先のメサの岬と
呼ばれるところまで二人で出かけます。そこで、おばあちゃんは静に話を始めます。
「アニー、おまえは、時間をもどそうとしているんだね。でもそれはできないんだよ。」
「お日様は、朝、大地からのぼり、夕方、大地にしずんでいく。生きているものはすべて、
大地から生まれて、大地へ帰っていくんだよ。」

アニーは周りの景色を見ながら、おばあちゃんの話を聞きます。
そして次第に、自分も大地に生きていて、大地の一部だということが・・・わかって
きました。
この場面は、雄大な砂漠の様子が目に浮かびます。
絵は、文章のホンの一部を描いているだけです。

こうして、おばあちゃんの死を受け入れることができたアニーは、母と共にじゅうたんを
織り始めました。

絵は、黒い線画にキャメルと茶色が少しだけ使われています。ナバホ・インディアンが
住んでいるアメリカ西部の砂漠の雰囲気が良く出ています。
この絵本を読むと、人間も自然の一部である事がアニーとともに理解できます。
インディアンの感覚と、日本人の感覚は似ているような気もします。
しかし、住んでいる環境が違うので、日本人が土に帰るというところを、
大地に帰るというのでしょう。
雄大な砂漠の景色とともに、そこに静かに暮らす人々の姿が浮かびあがるような、お話です。
オンライン書店ビーケーワン:あの夏 「あの夏」 ガブリエル・バンサン作 / もり ひさし訳  BL出版

読む前から、おおよその内容を知っているので、読み始めるのが、
何となく、怖いような、気が引ける様な、それでいて、どうしても読みたいという、感じでした。
特にバンサンは、デッサン力があるので、今まさに、ここで起きている現実の様な気になりますから。

この物語は「アーネストとセレスティーヌ」シリーズの番外編のような、絵本です。
二人の知り合いのガズーが、病気で亡くなる夏の日のことを、描いています。
「アーネストとセレスティーヌ」とは、クマのおじさんとネズミの女の子の物語です。といっても、
この2匹は、二人と呼ぶべきキャラクターです。そう、ほぼ人間です。姿形が動物というだけです。
このシリーズについては、「絵画好きな方のために ガブリエル・バンサン」をご覧ください。

二人の知り合いガズーは、人間の女性です。とてもやさしい人で、セレスティーヌも大好きです。
アーネストに早くお見舞いに行こうと、誘うのですが、アーネストはいろいろ理由を付けて、
行きたがりません。当然、大人ならそうでしょう。ガズーは重い病気で、死が近づいているのですから。
でも、結局、行かない訳には、行かないのです。アーネストもセレスティーヌを連れて、お見舞いに
出かけてみると、意外に元気な様子のガズーに出会います。そして、セレスティーヌは、ガズーの所へ、
泊まる事になります。

その後に、アーネストはセレスティーヌが、自分と離れていて寂しくないのだろうかと、悩みます。
そして、死に逝く人に、やきもちを焼く自分を情けなく思うのです。
こんな場面に、バンサンの研ぎ澄ました心を感じます。普通なら、セレスティーヌが、よい慰めに
なるから、よかった、なんて書き方をするのでは。でも、バンサンは現実を描きます。アーネストの
やきもちという、しかも、死に逝く人に対するという、自己嫌悪をも、しっかりと描くのです。

ガズーは、再び入院し仮に家に戻ったりしても、次第に病状は悪くなるのですが、子どもである
セレスティーヌには、それが悟られないように、アーネストは気を配ります。そして、大人である
アーネストは、ガズーから家に来て欲しいと乞われても、躊躇うのです。ほとんどの人がそうである
ように。

やがて、ガズーは亡くなります。ふたりはガズーとの思い出の場所に散歩に出かけ、ガズーを偲びます。
でも、セレスティーヌとアーネストは、出来るだけ明るく話します。ガズーの思いでは心の奥底へ、しまって。


オンライン書店ビーケーワン:じいじのさくら山 「じいじのさくら山」  松成 真理子・著   白泉社
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じいじは、良い事があると桜を植えてきました。さくら山は、きれいなさくらで
いっぱいです。そこへ、まごのおれは、じいじと行くのが大好きです。さくら山へ行く散歩は、
道端の草を摘んだり、草で遊んだりで、とても楽しいのです。山につくと、じいじはさくらの木に、
病気はないか、聞いていきます。おれも真似しますが、じいじのようにはわかりません。

ある冬に、じいじは病気になります。おれはさくら山のさくらにじいじの病気が治るように、
頼みました。そして、春になりさくらが見事に咲くと、じいじはおれと一緒に、さくら山に
出かけられるようになりました。じいじは、その晩、摘み草の土筆を食べて、何事もなかった
ように、休みますが、そのまま目覚める事はありませんでした。

その後のこと。さくら山では桜の咲く頃、お祭りが行われます。じいじの作ったさくら山の
お祭りの様子で、終わります。

桜の季節のさくらいろがとても印象深い絵本です。
孫を通して、年寄りの死を扱う話は多いですが、大人は孫の側ではなく、年寄りの側の気持ちに
なります。この絵本もこんなさくら山を自分は作って残しているだろうか、なんて、考えました。


オンライン書店ビーケーワン:ぞうのさんすう 「ぞうのさんすう」 ヘルメ・ハイネさく / いとう ひろし・やく  あすなろ書房
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ぞうが算数をして、見世物になった話かしら・・・と勝手に想像していましたが、
もっと哲学的なお話でした。

小さなゾウがたくさん食べて、お誕生日ごとにうんちの数が増えていきます。
そして、大人になり50こになりました。でも、その翌年から今度は一つずつ減っていきます。
やがて、ゼロになる日がきました。そうです。ぞうは100年生きたのです。そして、ゼロに
なる日がきたのです。ぞうは、うんちをしなくなったぞうが行くところへ、静に歩いていきます。

この絵本は、ヘルメ・ハイネの処女作の復刊です。絵はモノクロです。
最後の絵は、ぞうがずっと遠くへ行く様子が、紙の奥へ奥へ行くような描き方をしています。

もうはっぱのことも、くさのことも、考えなくていいぞうは、幸せだと書かれています。
100年生きてみて、やっとゼロというものが、わかったのです。

このぞうのように、ゼロがわかり、幸せになれるのでしょうか。
たくさんのくさやはっぱのことを、考えてからですが。
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