「正統派」 『ぼんさいじいさん』 『わたしのくまさんに』 『あたまにつまった石ころが』 『名前をつけるおばあさん』 |
とても優しい絵です。
表紙には、しだれ桜の盆栽の中に、小さくなったぼんさいじいさまが、
桜を眺めている様子が、描かれています。
絵の一枚一枚、(すべて見開き2ページ分が一枚の絵になっています。)
ていねいに見ていくと、動植物が細かく優しげに描かれています。
おじいさんが亡くなる日のことを、描いている本ですが、人生の終わりに
こんな最後があるならばと、ほっとするような、思わず微笑んでしまう絵本です。
そして、最後の見開きの絵、ぼんさいじいさまが、迎えに来たひいらぎ少年と
向こうへ逝ってしまう、手をつないだ後姿は、寂しさを感じさせません。
図書館で手に取ったとたん、いい感じの絵本と思いました。 中を見ずに表紙だけで何となく、素敵なお話だなと感じました。 (いつもそうだけど、今回の本は特に) 感じたとおり、何度読み返しても、その度に素敵だと思える絵本です。 森の若いくまが、森の中に避暑に来ている女性(若すぎず、年寄りでもない)に、 本の読み聞かせをしてもらい、秋になると、女性が置いていってくれた本を巣穴に 運び込み、冬の間中本を仲立ちに、女性の声を聞き続ける、というお話です。 この絵本は、不思議な副詞が使われています。そこが、とても魅力的です。 「くまはゆわんとふりむいた。」 この表現大好きです。本文中、ブルーの字は点が付いています。 こんな副詞が幾つか出てきます。普通使わないかなと思う言葉ですが、 使われている箇所では、表情や心情が伝わり、納得の使い方です。 でも、これは翻訳絵本なので原文はどんな言葉なのか、知りたくなりました。 (原文見ても分からないけど・・・(^^ゞ 翻訳者の素晴らしさです。 柔らかい絵の感じと共に、柔らかな文章も味わってください。
「好きなことだけをしていて、食べていけるならば」と、誰もが思い、
そんなことはできないと、誰もが、何かしら食べていける職を選びます。
でも、それをしなかった人が、この本の作者のお父さんです。
石ころ集めが大好きなおとうさんは、友人や奥さんから
「あたまに石ころが、いっぱい詰まっている」といわれていました。
世の中が不況で、商売がうまくいかなくなっても、石集めをやめることなく、
また、石についての勉強もしています。
でも、結局、好きなことを手放さず、そのおかげで、
科学博物館に職を得ることができたのです。
こんな結果になる人は、稀なのでしょう。
でも、好きなことを手放さず、どんな時でも、続けていくことが、
大変でも、とても素敵なことだと、思い出させてくれる本です。
長生きをしたお陰で、お友達が皆亡くなってしまったおばあさんの物語です。 おばあさんは、「ベッツィ」と名づけた車に乗っています。ベッドは「ロクサーヌ」 住んでいる家は「フランクリン」です。自分の身の回りにある物に、名前をつけて いました。おばあさんは、お友達より長生きだったので、だれからも手紙もこない、 名前を呼んでももらえなかったのです。だから、自分より長生きする物たちに名前を つけて、呼んでいました。誰の名前も呼ばない寂しい生活は嫌だったのです。 こうして、おばあさんは、じぶんより長生きするものたちに囲まれて、 幸せに暮らしていました。 でも、自分より長生きしそうにないものに、名前を付けるのは嫌でした。 ある日、おばあさんの家の、壊れかけた門の所に、子犬がおずおずとやってきました。 門は壊れかけていたので、名前はありません。おばあさんは、おなかをすかした子犬に ハムを上げると「うちにお帰り」といいました。子犬は、行ってしまいました。 ところが、それから子犬は毎日やってくるのです。 やがて、子犬はもう子犬とは呼べないほどに大きくなりましたが、おばあさんの 家の門にやってくるのでした。毎日食べものをやりながら「うちへお帰り」と、 おばあさんは、いい続けました。 ところがある日、おとなしい茶色のこの犬は、おばあさんのところへ来ませんでした。 おばあさんは、すわりこんで、大人しい茶色の犬のことを考えました。 そして、決心しました。フラクリンにカギを掛けて、ベッツィを運転し、迷子の犬たちの所へ。 優しい色合いの絵が、気持ちを和ませます。さらに、最後は涙無しでは。