水戸市の方が行っている運動です。 3300年という時を刻んで蘇ったえんどう豆です。 ツタンカーメンの王墓が、イギリスの考古学者ハワード・カーター博士によって 発見された話は、有名でどなたも良くご存知と思います。 この発見された墓の中に、副葬品としてたくさんのものがあったのですが、 その中に食料を入れたかごがあり、そのかごの中にえんどう豆がありました。 10数年の調査の過程で、このえんどう豆が奇跡的に発芽したのです。 後にそのえんどう豆の子孫は各国に渡りましたが、日本にはアメリカより 日本の子どもたちの善意に対するお返しとして、1956年に20粒が 「世界友の会」(元日本国連友の会)に送られました。 その中の一粒だけが、当時中学生であった水戸の方のところで育ち、 現在に至っていると言うことです。 (この間の事情は尚詳しくパンフレットにありましたが、省きます。 お知りになりたい方は、お問い合わせ下さい。) 現在は、たくさん取れたえんどう豆を水戸の方にお送りし、さらに 全国の方にお配りするという運動が行われています。 私は、新聞でツタンカーメンのえんどう豆を下さるという記事を 見て、簡単な気持ちで応募しました。 でも、今では何だか大変な責任があるようでしっかり育てなければと 思っています。 ツタンカーメンのえんどう豆については、こちらのページで独立して、 生育状況をお伝えします。 どうぞ、ご覧下さい。また、無事育つように、応援ください。
パンフレット中央に20粒のえんどう豆です。
紫色です。食べてもあまり美味しくはないそうです。 11月の初旬に蒔きました。 |
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20粒のうち、半分位芽が出たようです。
えんどう豆ははじめて見るので、変わった感じの芽だと思いました。 (さやえんどうは、さやごと食べる物ですが、えんどう豆は豆になってから食べる物です。) |
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4月に少し暖かくなり、
10センチ位になりました。 | |
大きく伸びるために手を作りました。
サヤエンドウよりは、大きくなっています。 | |
4月下旬です。
どんどん大きくなっています。 | |
5月になりました。
膝より上になりました。 | |
サヤエンドウの高さは、 少し低くて、膝位です。 | |
5月10日頃、花が咲きました。
きれいな紫色です。大きさもややおおぶりです。 |
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5月20日過ぎに、濃い紫色の莢がいくつかついていました。
いつ付いたのか、気が付きませんでした。 | |
また、また、私のしわしわ手と比べました。
大きな莢です。 |
ちょっと大き目の画像にしてみました。 6月後半です。
実がいっぱいつきました。 | |
全体の様子です。 |
豆をちょっと収穫して、豆ご飯にしてみました。 想像していた豆は紫色で、豆ご飯も紫色のご飯になると 思っていました。でも、豆は普通に緑色でした。だから、 ご飯も普通です。
莢を剥いたところです。 | |
豆の大きさは、かなり大きいです。
丸くなく、四角っぽい感じです。 |
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微かに色が付いているような、いないような。 | |
湯気でぼけていますが、豆ご飯です。
デジカメの電池切れで、これ以上撮れませんでした。(^^ゞ 味も普通の豆ご飯かな? 管理人、豆ご飯あまり炊かないので、味付けが上手にでき無かった可能性はあります。 |
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2回目の豆ご飯です。
ネットで調べたところ、保温すると赤くなることがわかりました。 今回は、朝炊いて夕方に写真を撮りました。 |
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枯れてきたので、雨が来る前にすべて収穫しました。 | |
これで、全部です。
少し食べたけど、ほとんどは種にしました。 |
今年は、分けていただいた方へ、自分用の種を残して、お返ししようと思っています。 20粒くらいでこの位取れたので、来年からは食べて、種を残してにしようと考えています。