二段 火車
宮部みゆきに「火車」という作品がある。
だが、この話は、それとはまったく違う。
イメージが火の車だったので、勝手に、
あのことを、私は火車と呼んでいる。
喩えてみるならば、平清盛が見たという
火車である。
何時だったか、季節は忘れてしまった。
だが、確かに布団を掛けて寝ていたので、
真夏ではない。
時間は、夜中、といっても、まだ宵の口だったのか、
真夜中だったのかも、忘れてしまった。
寝ていた。
すでに、就寝してから時間は経っていた。
主人は寝付きが良いので、いつも私が眠れる
頃は、ぐっすり寝ている。
しかし、あの時、何故か、主人も目を覚ましていた。
何かきっかけが、あったのかもしれないし、
ふと、目が覚めただけかも知れない。
我が家は、庭が広い。
いうなれば、駐車場並みに。
その庭の中央で、急に音がした。
からからと鯉幟の先についている、
矢車の回るような乾いた音。
それは、唐突に始まった。
だが、何となく、遠くから、からからと、
現れたことが感じられる。
たぶん、次第に音が大きくなったのだ。
遠くといっても、物理的に遠くではなく、
つまり、畑の向こうとか、隣の家の向こうとか、
山の方からという、遠くではなく、
言わば、時空の向こうから、遠くやってきた
感じである。
時空の裂け目、そんな物があるとしたら、
そこから・・・。
もちろん、私は、ベッドに横になったまま、
外を見ようとは、しなかった。
いや、見る暇がないほど、からからと、
それは、行ってしまったのだ。
庭を抜け、表の道を渡り、道の向こう側の家まで。
何分という単位ではなく、おそらく、何秒の単位。
そして、始まった時と同じに、唐突に終わった。
しかし、始まった時と同じで、次第に音が遠くへ、
消えていったのだ。言わば、時空の向こうへ。
確実に、通りの向こうの家までは、行った。
何故なら、通りの向こうの家の犬が2匹、
突然、音が近づくとともに、吠え出したのだ。
何かに向けて、狂ったように、吠えていた。
主人は、現実屋で、幽霊、おばけ、妖怪、
など、魔を信じてはいない。
私は、この世の中に、物理の法則だけで、
表せる現象ばかりではないと思っている。
その二人が同時に聞いていた。
犬も見た。あるいは、感じた。
主人は、自転車の車輪の輪を回した時の
ような音と、評する。
自転車の車輪の金属部分のみを、転がして
遊ぶ、あの輪の音のようだと。
でも、あの輪は、自立しない。
夜中に他人の家の庭で、自転車の輪っかを
まわして遊ぶ者など、ありえない。
だからと言って、主人もそれ以上の
感想はなかった。
理屈に合わない物は、なかったことに
頭の中が、処理されたのだろう。
私は、火の付いた矢車が回って行ったと、
思っている。
いや、イメージしている。
あれ以来、音が聞こえてきたことはなく、
不思議な現象が、起こるわけでもない。
ただ、火車が、駆けていった、
それだけのことである。 |